映画「マイ・インターン」(The Intern、2015、アメリカ)は太極拳で始まります。
太極の思想をシンボル化したのが太極図。この図では、陰と陽は対立しておらず、まるで回りながら混ざり合うかのように見えます。
本作の主人公であるベン(ロバート・デ・ニーロ)とジュールズ(アン・ハサウェイ)の関係も、この太極図になぞらえることができます。
電話帳会社をリタイアした70歳の紳士と、華やかなファッション通販サイトを立ち上げた若き女性CEO。世代もキャリアも好対照な二人が、やがて互いを補い合い調和へと至るのです。
「マイ・インターン」には印象に残るセリフがいくつもあります。今回はその中から5つを選びました。単なる日本語訳ではなく、「この英語、こんなニュアンスなのか」というポイントにも注目しながら、セリフの背後にある意味を掘り下げます。
私の中にはまだ音楽がある

Musicians don’t retire. They stop when there’s no more music in them. Well, I still have music in me, absolutely positive about that.
訳文:
ミュージシャンに引退はない。自分の中の音楽が尽きた時にやめる。私の中ではまだ音楽が鳴り響いています。それは絶対に間違いない。
シーン
ファッション通販サイト「アバウト・ザ・フィット」のインターンに応募したベン。このセリフは彼が自分で撮影した自己紹介ビデオの最後の部分です。
英語ポイント:「positive」の持つ2つの意味
セリフの締めくくり「absolutely positive about that.」に注目してみましょう。
「positive」といえば「前向き・積極的」を思い浮かべますが、ここでの意味は「確信している」。
「I’m positive」の確信度は「I’m sure」よりも強く、「I’m certain」と同じかそれ以上といったイメージです。ベンはさらに「absolutely」を重ねて「absolutely positive」(絶対に間違いない)と断言しています。
巧みなのは、応募ビデオの終わりにあえて「positive」を使った点。ビデオを見る採用者に「ポジティブ」な印象をさりげなく与える、一石二鳥のワードチョイスです。
セリフ解説:お金の余裕は心の余裕
「absolutely positive」(絶対に間違いない)――この自信はどこから来るのでしょう。
ベンが長年勤めていたのは電話帳を作る会社。インターネットの普及によって衰退した、オールド・エコノミーの象徴のような業界です。それでも彼はリストラされることなく、重役にまで出世して引退しました。
手にしたのは、おそらくまとまった退職金と手厚い年金。ブルックリンの自宅は重厚なレンガ造りの高級タウンハウス。
生活のためではなく、自分の中で「音楽」をかなで続けたい。その純粋な情熱がベンをインターン応募へと突き動かしたのです。
ブルックリンらしい風景といえば、茶色の砂岩を外壁に使った「ブラウンストーン」と呼ばれる連棟式の住宅。多くは150年ほど前に建てられ、今も往時の美しい街並みをしのばせます。
ベンの家は外壁の大部分がレンガですが、土台や階段には茶色の石材があしらわれており、一般にはブラウンストーンの仲間として扱われます。
こうした建物は単なる古い家ではありません。手入れ次第でさらに何世代にもわたって住み継いでいける頑丈な造りです。不動産としての価値も高まっており、数百万ドル(数億円)で取引されることも珍しくない、ニューヨーカー憧れの高級物件です。
何かご用は?
Hi. Howdy. What do you need? No.
どうも。やあ。何かご用は? 違うな。
シーン
ジュールズの直属のインターンとなったベン。ジュールズの秘書ベッキーから「まばたきを忘れないで」とアドバイスを受け、自宅の大きな鏡の前でまばたきしつつ挨拶の練習をします。
英語ポイント
多忙な年下のボスにどう話しかけるべきか。ベンはひとりリハーサルを始めます。
- Hi
「Hello」よりカジュアルで、ビジネスシーンでも問題なく使える無難な挨拶です。ベンは声のトーンを変えながら、ベストな「Hi」を探ります。
- Howdy
「トイ・ストーリー」のウッディが言いそうな、カウボーイっぽい挨拶です。ちょっとおどけてみた感じですが、ニューヨークのスタートアップには場違いですし、紳士的なベンのキャラにも合いません。
- What do you need?
「何か手伝いましょうか」というニュアンス。相手の役に立とうとする実務的な言い方ですが、初対面に近い相手には少し直接的で、「早く仕事をください」と前のめりな印象を与えかねません。
- No
ベンは苦笑して全部ボツにします。どれも自分らしくない。結局、気取らず自然体でいくのが一番――そう腹をくくった、ほほ笑ましいオチです。
セリフ解説:40年越しの答え合わせ
鏡に向かって話しかけるデ・ニーロ。これを見て「おっ」と思った映画ファンもいるはず。
なぜならこのシーンは、若き日の彼が主演した映画『タクシードライバー』(1976)の伝説的な名場面を思い起こさせるから。
『タクシードライバー』の主人公は、世の中に不満を抱え、鏡に向かって銃を構える孤独な青年でした。
一方ベンは、世の中とつながるために鏡の前でほほえむ老紳士。
同じ俳優でも、鏡に映る姿はまったくの別人です。
かつてスクリーンの中で最も危険だった男が、誰よりも優しく頼もしい男を演じる。その強烈なギャップこそが、ベンという人物に唯一無二の存在感を与えています。
今週一番の出来事

Best thing that’s happened around here all week.
今週このあたりで起きた最高の出来事よ。
シーン
オフィスの一角に社員たちが不用品を置いていくデスクがありました。ジュールズがずっと気にかけていたその場所が、ある朝みごとに片付いています。ベンが早朝に出社して片付けたのです。彼女は驚きと感謝を込めてお礼を伝えます。
英語ポイント
リズミカルな一文です。2語のまとまりが4つ連なり「タン・タン・タン・タン」と心地よいテンポを刻みます。
- Best thing
「(This is the) best thing」の始めの部分が省かれています。 - that’s happened
「that has happened」の短縮形。現在完了は過去形と違い「今につながる感覚」があります。 - around here
「here」に「around」を添えることで「このあたりで」「このオフィスで」というこなれた表現になります。 - all week
「this week」でも意味は通じますが、「all」を「オーール」と伸ばしぎみに発音することで、「この1週間を通して(これが一番!)」という驚きや喜びがぐっと際立ちます。
ジュールズになったつもりで声に出してみましょう。
セリフ解説:オフィスに舞い降りた妖精
二重に象徴的なシーンです。
散らかったデスクはジュールズの内面。仕事に追われ、考えや感情がまとまりません。それを気にしつつも、誰にも頼れず自分でも解決できない。
そのデスクをベンが魔法のように片付けてしまう。しかし映画は、額に汗してゴミを運ぶシーンなど描きません。グリム童話の「靴屋の小人」のように、気づけばすべてが整っている。
ベンは徹底して理想的な人物として描かれます。年寄りのイヤな面などまるでない。空から舞い降りたメリー・ポピンズほどでなくても、ちょっと現実離れしている。
「マイ・インターン」は大人のためのファンタジーなのかもしれません。ベンは私たちが「こんな人がいてくれたら」と心のどこかで願っている存在の化身。だからこの物語は、おとぎ話のような心地よさを与えてくれるのです。
これこそがクール

How, in one generation, have men gone from guys like Jack Nicholson and Harrison Ford to… Take Ben, here. A dying breed. You know? Look and learn, boys, because if you ask me, this is what cool is.
なんで一世代でこうも変わる? ジャック・ニコルソンやハリソン・フォードみたいな男から…… ここにいるベンを見て。いわば絶滅危惧種。いい、よく見て学んで、男子たち。私に言わせれば、これこそがクールよ。
シーン
ジュールズが誤って送ってしまったメールを削除するため、ベンと若手社員たちが彼女の母親の家に忍び込むという珍騒動を繰り広げます。ミッション成功の夜、みなで祝杯をあげるうち、酔いが回ったジュールズがベンの魅力を熱く語り出します。
英語ポイント:クール
セリフの最後「this is what cool is」(これこそがクール)に出てくる「cool」に注目しましょう。
「cool」はもともと「涼しい」「冷たい」という意味の形容詞ですが、そこから「冷静な」「落ち着いた」という意味が生まれ、さらに「洗練された」「かっこいい」という意味でも使われるようになりました。
現在では軽く「了解」「いいね」「それでOK」と返すときにもよく使われます。
- Cool.(オッケー)
- That’s cool. (それでいいぜ)
今では当たり前に使われる「cool=かっこいい」という表現ですが、そのルーツは1940年代のジャズシーンにあるといわれます。
当時主流だった熱く激しいビバップに対して、抑制のきいた落ち着いたスタイルの「クール・ジャズ」が生まれました。その代表的な作品が、マイルス・デイヴィスのアルバム「Birth of the Cool」(クールの誕生)です。
熱く燃え上がるのではなく、どこまでも冷静で知的。そんな洗練されたアーティストたちの立ち振る舞いを通じて、「cool」は大人の余裕を感じさせる「憧れのかっこよさ」を指す言葉へと進化しました。
セリフ解説:クールの多様化
デ・ニーロ演じる70歳のベンは「クール」なのでしょうか。
かつてハリウッドで「キング・オブ・クール」といえばスティーブ・マックイーンでした。感情を表に出さない無口なタフガイ。近寄りがたいオーラを放つ、いわば男が惚れる男です。
しかしジュールズのいうクールは違います。
強さを誇示する男らしさではない。落ち着き、品のよさ、気配り、そして相手を安心させる余裕。決して支配しようとせず、必要なときにそっと支えてくれる。そんな成熟した大人の魅力こそ、彼女にとってのクールなのです。
深く息をして

Breathe deeply, Jules.
深く息をして、ジュールズ。
シーン
映画のラスト、公園で太極拳の輪に加わるジュールズ。慣れない動きに戸惑う彼女に、ベンが隣から優しく声をかけます。
英語ポイント:「breathe」と「breath」
動詞「breathe」(呼吸する)と名詞「breath」(息・呼吸)の違いをおさらいしましょう。
動詞 breathe(発音:ブリーズ)
- Breathe deeply.(深く呼吸して)
ヨガや瞑想など、継続して息を整えるよう促す場面で使われます。
名詞 breath(発音:ブレス)
- Take a deep breath.(深呼吸して)
直訳すると「深い息を一つ取る」。緊張している人、パニックになりかけている人、怒っている人に対して「いっぺん深呼吸しよっか」と落ち着かせる定番フレーズです。
セリフ解説:西洋と東洋の融合
「マイ・インターン」は太極拳で終わります。
ベンとジュールズが並んで同じ動きをなぞる姿は、まさに太極図の完成。陰と陽の交わりを体現する光景です。
映画の公開当時、アメリカではマインドフルネスが流行していました。有名企業が瞑想プログラムを導入し、「今この瞬間に意識を向ける」という東洋的な思想がビジネスの現場に広がっていった時期です。
呼吸は無意識の行為ですが、自分でもコントロールできる。意識と無意識の境にある営みであり、呼吸を整えることは、心を静めて平穏を取り戻すシンプルな方法です。
英語には「last but not least」(最後だが軽視できない)という表現があります。「Breathe deeply, Jules」――これはベンがジュールズに贈る最後のアドバイスであり、映画が私たちに残す大切なメッセージでもあります。
ぜひ、深く息をしてみてください。
おわりに:2015年というギリギリのタイミング
「マイ・インターン」が公開された2015年、ハリウッドに一つの転機が訪れました。
この年、アカデミー賞で俳優部門のノミネートが全員白人であったことをきっかけに、#OscarsSoWhite(オスカーは白すぎ)というハッシュタグが生まれたのです。
その後、映画に多様性を求める動きが強まり、現在では出演者にさまざまな人種を含めることが当たり前になりました。
ひるがえって作品を見直すと、あることに気づきます。主要人物がみんな白人なのです。
もし今この映画がリメイクされるなら、配役は大きく変わるはず。若手社員の一人はアジア系、秘書のベッキーはヒスパニック、ジュールズの夫は黒人――いや、ジュールズやベンだって白人とは限らない。
それが良い悪いという話ではありません。ただ本作は、多様性から距離を置いて古き良きアメリカ映画を無邪気に作ることが許された、ギリギリ最後のタイミングだったような気がしてならないのです。
なぜ私たちは「マイ・インターン」に癒されるのか。その理由は、作品そのものの温かさに加え、もう戻れないあの時代への郷愁を感じるからかもしれません。
